回復する力を引き出すために必要なこと

こんにちは。

千葉・船橋は秋晴れのすがすがしい日です。

先ほどの犬の散歩中にふと思い出したことなのですが。

(このように身体に記憶された「潜在記憶の欠片」が今と過去をつなぎ、ふとその一瞬の場面が頭をよぎることはと人にはしばしばあります。トラウマケアを進めていくとそれが安全な形で起こってきます)

私の幼少期は、足の怪我をすることがたびたびあり、病院にお世話になるということもありました。

元々身体感覚には敏感のため、足の怪我の後遺症として40年近くたった今になっても、少し感じることがあり、その感覚から賦活して記憶の欠片が湧いてきたのだと思います。

「あ~。あの時(幼少期の怪我の直後)立ち上がるのに気持ちも体も準備の時間が欲しかったなあ」とふと感じました。

私だけでなく、けがをしたり病気をしたりすると、驚きと同時に痛みや、恐怖、「自責感」や「恥」「罪悪感」「くやしさ」などの感情が湧きおこったり、

周囲の外的な環境、例えば仕事に親に迷惑がかかる、こんなことで休んではいられないなどの思いからなかなか、自分の体の回復に時間をかけるということをあまりしませんし、時間をかけてもらえません。

医師も看護師も先生も親も上司も勉強も忙しいし。気持ちの準備時間を待ってはくれない… ことも。

なので

「このくらいなら大丈夫」

と思って、自分の体の痛みや異常を我慢したり無視している続けていくということもあります。

実際その身体感覚が麻痺してくることがあります。どんどん鈍感になっていくんですね。

ただし現実は感覚が麻痺しているだけで、その部位の「異常」は起こっている。

感覚に鈍感になることは悪いことではないとは思っていますが

ただ、身体は記憶するということを、年齢を重ねたいま、とても感じます。

しっかり、処理して大事に扱っていきたいですね。

前回の記事で、トラウマからの回復に影響するもののとして、「回復力」ということを書きました。

回復していく力としての大事な要素として、やっぱり自分の心身に時間をかけてあげることだと思っています。

前述したように社会では、特に学校では「決められた時間に○○をしなければならない」とか「集団で同じことをしなければならない」と自由度が低く集団での協調性を強いられることがよくあります。

自分のペースでゆっくり、というよりも、「早くしなさい」「お前だけ遅れてるぞ」と、焦らせられてしまうこともしばしば。

学校の授業に遅れてしまうかもしれない、仕事に迷惑がかけられないと思うこともあるでしょう。

言葉には誰も言わないかもしれないけれど、非言語での圧力を感じたりすることも、

またそれ以外の選択肢が自分でもわからないし、選ぶこともできないこともある。

そうやってなんとなく自分を追い詰めてしまうととても苦しくなりますね。

でも、もしできるのならば

自分の心にも体にも「回復」する時間をあげる、それを許すことをしてほしい。

時間が欲しい時は「少し待ってください」「時間をください」という勇気も必要。

そして、周囲は「そばでゆったりと『待つ』」余裕と必要な時に手を差し伸べられる準備が大事。

回復には時間を必要とします。

体にも心にも癒しの力があると信じて時間をかけるということです。

回復には周囲への信頼感・安心感もとても大切。

参考までに風邪をひいたときのドイツの現状http://beautiful-backdrop.com/deutsch_erkaltenung

津田沼心理カウンセリングRenew 澤田忍